2014年10月30日木曜日

戦中世代の見るヒットラー

                  


      その日のお昼ご飯はドクターと二人でとった。先程陽気なおじいちゃん、
   シュテイルさん(仮名、でもシュテイルっていうのは「静か」という意味)が
   お帰りになったばかり。



             ドクター『いやあ、あのシュテイルさんは楽しい方だね。美術商だから
       歴史と芸術に造詣が深くって話始めると時間が経つのを忘れちゃうよ。』



                そうそう、綾ちゃんも彼とお話して楽しかったんだよ。今日はなんと
   シーボルト(!!)の生涯、日本から追放されたあとの彼の足跡を
   レクチャーしてもらっちゃった。うちの病院のすぐそばにシーボルトの
   お墓がある(!)なんて初耳!これは是非とも行ってこなくっちゃね。



                ドクター『彼はあの年代の方としては驚異的に健全な心の持ち主だね。
        今日は朝一番にあのおばあちゃんと長い間話をしていたからね。
        なおさらコントラストが浮き立つよ。』



                                  『戦中・戦後世代の人というのは多かれ少なかれ心に傷を
         負っているから老後、吐き出すように心身共に歪みが
         際立ってしまうものなんだ。でも面白いのは二人とも
         ヒットラー肯定派だということだね。』


                     うんうん、綾ちゃんもそう感じていたんだ。ヒットラーという存在を
    教科書や歴史の本などで読んだのではなく、メルケルやコールなどのように
    同時代の人として感じていた世代の中にはこういう人が意外に多い。
    つまりヒットラーの台頭によって雇用問題が解決されて経済が上向きになり
    生活が目に見えて良くなった現実を肌身で感じていた人々だ。

                         生きた歴史の証人。ドイツに何年住んでいても驚くことがまだまだある。





陽気な仲間


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